じみたの歴史

1991年(25歳~26歳)

フォント
1991年
☆セガでのプロジェクト第3弾
「メガドライブ ソニック・ザ・ヘッジホッグ」
※ドリカムの中村正人さんに会う

1991年1月1日(火)
☆浅草寺で初詣
※大変でした

1991年1月2日(水)~3日(木)
☆泊まりでお座敷セッション
<理科大ジャズ研先輩 林さんの家>
林(g) 牛山(g) じみた(p) 大橋(b) 能登谷(ds)

☆関内「エアジン」のジャズ会(?)に参加
Eve(tp) 牛山(g) じみた(p) 浅田(b) 能登谷(ds)

1991年1月13日(日)
☆ナバロの家で新年会セッション
ナバロ(tp) $子(as) じみた(p) 浅田(b)

1991年1月22日(火)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「フィル・ウッズ グループ」
フィル・ウッズ(as)

1991年2月19日(火)
☆ライブ鑑賞
<市ヶ谷 場所?>
「小曽根真&ゲイリー・バートン グループ」
小曽根真(p) ゲイリー・バートン(vib)

1991年2月20日(水)
☆セッション参加
<目黒 SONOKA>
石田博(as) ?(p) 白鳥利卓(b) 廣江靖(ds)
※初共演:廣江靖(ds)

1991年2月24日(日)
<八王子 BASH!>
「小澤祐二 グループ」
豊田"ナバロ"晃(tp) 小澤祐二(ts) 久保田浩(p) 大橋明(b) 中原康仁(ds)

1991年2月27日(水)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「ハービー・ハンコック トリオ」
ハービー・ハンコック(p) バスター・ウィリアムス(b) アル・フォスター(ds)

1991年4月7日(日)
☆学バンセッション
<東工大 ジャズ研>
豊田"ナバロ"晃(tp) 谷口英治(cl) 久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b) 西尾研一(ds)

1991年4月27日(土)
☆ライブ鑑賞
<西麻布 ウッディベル>
「野村潤 グループ」
野村潤(ts) 長谷川泰弘(b)
※初対面:野村潤(ts) 長谷川泰弘(b)

1991年6月7日(日)
<銀座 28'GINZA>
「相楽賢哉 グループ」
野村潤(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 鏡剛(ds)
※相楽バンド開始

1991年6月15日(日)
<千駄ヶ谷 日本青年館ホール>
「苅田・$子 結婚披露宴」
(理科大ジャズ研先輩・後輩)
久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b)

1991年6月29日(土)
☆リクルート社のパーティでの演奏
<リクルート社 東新橋ビル>
「理科大ジャズ研OBバンド」
林(g) 牛山(g) 野村潤(ts) じみた(p) 大橋(b) 西尾研一(ds)

1991年7月12日(金)
<本郷 スポーツクラブ>
「パーティ」
「波多野"Payapa"素子 グループ」
波多野"Payapa"素子(vo) 田中邦和(ts) 久保田浩(p) 脇義典(b)

1991年7月14日(日)
☆デモテープレコーディング
<新富町 平凡商事>
「相楽賢哉 デュオ」
相楽賢哉(tb) 久保田浩(p)

1991年7月16日(火)
<西麻布 ウッディベル>
「志水まどか セッション」
志水まどか(vo) 久保田浩(p) 志村洋一(b) 天川洋一(ds)
※初共演:志水まどか(vo) 天川洋一(ds)
※ウッディベルで志水まどかセッション開始

1991年8月3日(土)
<代々木 NARU>
「井口健一 グループ」
井口健一(ts) 久保田浩(p) 鈴木保志(b) 宮本達也(ds)
※初共演:井口健一(ts) 鈴木保志(b) 宮本達也(ds) 小俣景子(vo)
※井口バンドに参加

1991年8月10日(土)
☆ライブ鑑賞
<恵比寿 ローズルーム>
「古川奈都子 グループ」
古川奈都子(p)

1991年9月6日(金)
<西麻布 ウッディベル>
「相楽賢哉 グループ」
野村潤(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 鏡剛(ds)
※超満員のライブ

1991年9月8日(日)
<新宿 カーニバル>
「結婚式二次会」
(理科大ジャズ研後輩 Payapa関係)
波多野"Payapa"素子(vo) 久保田浩(p)

1991年9月21日(土)
<目白 椿山荘>
「相楽くん 結婚披露宴」
(明治BS後輩)
久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b)

1991年10月4日(金)
<銀座 28'GINZA>
「相楽賢哉 グループ」
熊谷卓(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 鏡剛(ds)
※初共演:熊谷卓(ts)

1991年10月17日(木)
<西麻布 ウッディベル>
「波多野"Payapa"素子 バースデイライブ」
波多野"Payapa"素子(vo) 本田健二(tp) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(eb) 田中尚穂(ds) 伊達弦(per)
※初共演:伊達弦(per)

1991年10月26日(土)
<場所?>
「広瀬さん・望主さん 結婚披露宴」
(理科大ジャズ研先輩)
じみた(p) φ(フェイ)(b)

1991年11月2日(土)
<目白 椿山荘>
「結婚披露宴」
(東工大ジャズ研OB 西尾さん関係)
「西尾研一 グループ」
久保田耕司(as) 久保田浩(p) 脇義典(b) 西尾研一(ds)

1991年11月3日(日)
☆理科大ジャズ研のコンサートに出演
<六本木 ピットイン>
「係長 能登谷厚Ⅱ」
Eve(tp) 苅田(ts) 牛山(g) じみた(p) φ(フェイ)(b) 能登谷(ds)

☆早稲田大学の学祭に出演
<早稲田 ハイソ>
「小澤祐二 グループ」
小澤祐二(ts) 久保田浩(p) 小野寺浩(b) 鏡剛(ds)

☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「中村誠一 グループ」
中村誠一(ts) 竹野昌邦(ts) 竹内直(ts) 臼庭潤(ts) 南博(p) 鈴木良雄(b) 村石雅行(ds)
※テナーのブランフォード・マルサリスが飛び入り

1991年11月4日(月)
<新宿 ホテルサンルート東京>
「西田くん 結婚披露宴」
(明治BS後輩)
久保田浩(p) 磯部英貴(b)
※初共演:磯部英貴(b)

1991年11月13日(水)
☆古西くんに誘われて早稲田スイング研に遊びに行く
※初共演:古西忠哲(b)

1991年11月23日(土)
☆理科大の学祭にゲストバンドで演奏
<理大祭 あけみ>
「久保田浩 グループ」
久保田耕司(as) 久保田浩(p) 脇義典(b) 西尾研一(ds)
佐藤"ハチ"恭彦(b, 1曲のみ)

1991年11月24日(日)
☆東大の駒場祭に遊びに行く

1991年12月8日(日)
☆明治BS 相楽・西田・ 橋本 合同結婚パーティ

1991年12月12日(木)
<西麻布 ウッディベル>
「相楽賢哉 グループ」
熊谷卓(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 岩城昌宏(ds)

1991年12月12日(木)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「オスカー・ピーターソン トリオ+1」
オスカー・ピーターソン(p) ハーブ・エリス(g) レイ・ブラウン(b) ジェフ・ハミルトン(ds)

1991年12月22日(日)
<目黒 八芳園>
「橋本くん 結婚披露宴」
(明治BS後輩)
久保田浩(p) 磯部英貴(b)

1991年12月23日(月)
<西麻布 ウッディベル>
「ヴォーカル発表会」
久保田浩(p) 大坪寛彦(b) 中野裕次(ds) 他(vo)
※初共演:大坪寛彦(b) 中野裕次(ds)
※ウッディベルのヴォーカルバック開始

1991年12月26日(木)
<西麻布 ウッディベル>
「Hammingbirds ラストライブ」
波多野"Payapa"素子(vo) 中馬啓子(vo) 苅田"$子"恭子(as) 久保田浩(p) 脇義典(b) 天川洋一(ds)
※初共演:中馬啓子(vo)

1991年12月31日(火)
☆ライブ鑑賞
<新宿 カーニバル>
「大晦日オールナイトライブ」
※この日演奏していたバンドの中の1つ、鈴木道子グループを観る
※ヴォーカルのイメージが変わる、人生が変わる




上記以外のライブや仕事です。

<西麻布 ウッディベル>
「志水まどか セッション」
志水まどか(vo) 久保田浩(p) 志村洋一(b) 天川洋一(ds)

<八王子 BASH!>
「小澤祐二 グループ」
小澤祐二(ts) 久保田浩(p) 小野寺浩(b) 鏡剛(ds)

<代々木 NARU>
「井口健一 グループ」
井口健一(ts) 久保田浩(p) 鈴木保志(b) 宮本達也(ds)



1991年
☆セガでのプロジェクト第3弾
「メガドライブ ソニック・ザ・ヘッジホッグ」
※ドリカムの中村正人さんに会う

 セガでのプロジェクトの第3弾です。メガドライブ用のゲームです。

 セガの「ソニック」というハリネズミのキャラクターを知ってるでしょうか?このキャラクターを使った一番最初のゲームです。というかこのゲームのためにキャラクターを作ったんですね。

 当初からこのゲームの音楽はドリカムの中村正人さん(ベース弾いてる人ね)にお願いすることになっていました。実は私はこの時ドリカムをよく知りませんでした。

 「ドリームズ・カム・トゥルー?」
 「ふ~ん。」

ってな感じです。

 ゲーム担当の社員数人で事務所におじゃまし、中村さんはそこにいました。とても話しやすいごく普通の人でした。どこにでもいるお兄ちゃんでした。私は個人的にジャズピアノを弾いてることを言うと、「へえ、ジャズピアノですか。すばらしいですね。」とお誉めの言葉を・・・私の演奏を聴いたわけじゃないんですけどね。中村さんはその昔スタジオミュージシャンをやっていたそうです。そのあたりが何か関係しているかもしれません。ドリカムの結成の話も聞きました。

 そして中村さんにはゲームのサンプル画面を見ていただいて我々は帰社しました。

 数日後、

 「ドリカムが『笑っていいとも』に出てるよ。」

っていうんでテレビ見たら、なんとTVショッキングのコーナーに出てるじゃありませんか。もうそんなに有名だったんですね。

 作っていただいた曲は録音テープで送ってもらったので、ゲーム用にデータを作って音色を付けて完成です。

 その後、この曲をゲームセンターにあるUFOキャッチャーで使うことになりデータをそのまま移植。

 というわけでこのころ作られたUFOキャッチャーで流れている曲は、あのドリカムの中村さんが作ったんですね。まだ流れているところもあるでしょうね。

 ちなみに日本のポップスを聴かない私でさえ、ドリカムはいいと思います。ちょっと古いアメリカンポップスのような感じがとてもよいです。中村さんもそれをねらったと言ってました。そのころの日本の凝ったポップスのような感じではなく、ちょっと古めのアメリカンポップスのような、もっと普通っぽく聴きやすいバンドにしたかったと言ってました。でもそういうことをやっても日本では売れるかどうかわかりません。こんなに売れてしまうとは中村さんも思ってなかったようです。


1991年1月1日(火)
☆浅草寺で初詣
※大変でした

 行きましたです。超有名な浅草寺へ。

 関東近くでない人はどう思うんでしょうねえ。明治神宮や浅草寺はテレビでもやっていますよね。あれを見て行きたいと思うのか、あんな人ゴミだらけの所なんか絶対行くかと思うのか。

 前日の大晦日の夕方、池袋東口の「手」の前で知人と待ち合わせ。そしてまず深大寺のそばを食べに行きました。うまいところがあるんですよ、深大寺に。大学時代に理科大ジャズ研の先輩の浅田さんの車で何人かでよく食べに行ったもんです。ところが深大寺に着いたら、その一番うまいそば屋はもう閉まっていた・・・おい、大晦日の深大寺のそば屋だぞ。なんたること・・・。仕方ないので別のそば屋へ行きました。ここは・・・普通でした。

 そばを食べ終わってから深大寺へ、ここで年を越します。深大寺は人出は普通ですね。少なくもないし多くもない、ちょうどよろしいです。

 で、浅草寺へ行くことになりました。少し休んでから浅草へ向かいます。着いたのは朝でした。雷門あたりをうろうろしてから浅草寺へ歩いていきます。もうそのあたりから人ゴミが結構すごいです。

 浅草寺が見えるあたりまで行くと・・・いや、見えません。というか動けません。途中から動けません。たいへんです。前後左右ピッタンコです。少しずつ前に進むんですが、進むたびに一緒に来た知人と分別されてしまう。しかも分別されたら元に戻すのは一苦労。一旦見えなくなるまで分別されてしまったら二度と会えなくなります。こっちもピッタンコにひっついてないと・・・たいへんでした。

 前の方まで行くと・・後ろからさい銭を投げるやつがおる。それもかなりいます。これがたまに頭にぶつかるんですね。もう動けないわ頭痛いやらで・・・私はもうこの時点でやる気なしです。早く解放されたい。っていうかそこまでして初詣ってやるもんなのでしょうか。もともと私はそういうイベントは好きじゃないんですが、それでも高校までは親と一緒に近くの神社へ行きました。北九州の田舎ですから人出はちょうどいい感じです。テレビでは明治神宮とかを見てましたが、まさかこんなメチャクチャなことになってるとは思いませんでした。

 なんとか鐘の前まで行きました。予想どおりです。後ろからがんがんさい銭を打ってきます。わしは的じゃないっつーの。知人も「早く行きましょう」状態になりました。もうお参りどころではありません。

 まあ人それぞれですから、これが好きな人はいいんです。私はちょっと勘弁です。というか、もともと初詣なんてものはそういうものじゃないはずです。いったいどうなっているんでしょう。これでお参りをしたという気分になるんでしょうか。明治神宮とかはもっとすごいんでしょうか。

 以上、初詣はどうあるべきか・・・の講座でした。


1991年1月2日(水)~3日(木)
☆泊まりでお座敷セッション
<理科大ジャズ研先輩 林さんの家>
林(g) 牛山(g) じみた(p) 大橋(b) 能登谷(ds)

 理科大ジャズ研OBのギターの林さんの家でセッションがあるというので行きました。夕方から泊まりです。林さん特製のカレーなんぞを頂きつつ、自宅でのんびりとセッションです。いいもんです。



3日(木)
☆関内「エアジン」のジャズ会(?)に参加
Eve(tp) 牛山(g) じみた(p) 浅田(b) 能登谷(ds)

 翌日、夕方から横浜のアマチュアのジャズ会のようなものの主催で、関内の「エアジン」でバンド演奏ができるというので行きました。


1991年1月13日(日)
☆ナバロの家で新年会セッション
ナバロ(tp) $子(as) じみた(p) 浅田(b)

 トランペットのナバロの家で新年会がてらセッションを行いました。トランプなどのゲームをやりつつ酒を飲みつつセッションをしました。


1991年1月22日(火)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「フィル・ウッズ グループ」
フィル・ウッズ(as)

 青山のブルーノートにフィル・ウッズのバンドを見に行きました。メンバーはフィル・ウッズ以外覚えていません。私はフィル・ウッズは好きです。期待してたんですが、このライブは今ひとつでした。悪くはなかったんですが、往年のすばらしい演奏を知っているだけにちょっと残念でした。


1991年2月19日(火)
☆ライブ鑑賞
<市ヶ谷 場所?>
「小曽根真&ゲイリー・バートン グループ」
小曽根真(p) ゲイリー・バートン(vib)

 小曽根真とゲイリー・バートンのバンドを見に行きました。場所は市ヶ谷でした。他のメンバーは覚えていません。小曽根真はチック・コリアのような感じでした。ゲイリー・バートンはさすがすごかったです。


1991年2月20日(水)
☆セッション参加
<目黒 SONOKA>
石田博(as) ?(p) 白鳥利卓(b) 廣江靖(ds)
※初共演:廣江靖(ds)

 目黒の「SONOKA」のセッションに行きました。3回目です。この頃のリーダーバンドのドラムは、亡くなった藤沢博延さんがほとんどやっていましたが、この日だったと思いますが廣江さんでした。


1991年2月24日(日)
<八王子 BASH!>
「小澤祐二 グループ」
豊田"ナバロ"晃(tp) 小澤祐二(ts) 久保田浩(p) 大橋明(b) 中原康仁(ds)

 小澤バンドとは違うメンバーで八王子のライブハウス「BASH!」に出演しました。ベースの大橋さんは理科大ジャズ研のOBです。


1991年2月27日(水)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「ハービー・ハンコック トリオ」
ハービー・ハンコック(p) バスター・ウィリアムス(b) アル・フォスター(ds)

 青山のブルーノートにハービー・ハンコックトリオを見に行きました。

 このトリオはよかったです。1曲目は「Footprints」でした。何曲めかに「If I Were A Bell」をBbで演奏していました。


1991年4月7日(日)
☆学バンセッション
<東工大 ジャズ研>
豊田"ナバロ"晃(tp) 谷口英治(cl) 久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b) 西尾研一(ds)

 東京工業大学のジャズ研でセッションを行いました。とにかくいいセッションでした。今でも録音テープを持っています。


1991年4月27日(土)
☆ライブ鑑賞
<西麻布 ウッディベル>
「野村潤 グループ」
野村潤(ts) 長谷川泰弘(b)
※初対面:野村潤(ts) 長谷川泰弘(b)

 ラッパのナバロと一緒に野村潤バンドのライブを見に行きました。ナバロが潤ちゃんとどこかで知り合ったようです。ここでテナーの潤ちゃんとベースの長谷川さんと知り合いました。長谷川さんは何も書いていない名刺の用紙に、青の太いペンでその場で書いていました。もちろんその名刺は今でも持っています。


1991年6月7日(日)
<銀座 28'GINZA>
「相楽賢哉 グループ」
野村潤(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 鏡剛(ds)
※相楽バンド開始

 銀座の「28'GINZA」で、「Swing Spice」という名の企画があり、明治BSのOBのトロンボーンの相楽くんのバンドでライブを行いました。

 相楽くんが、当時すでにプロミュージシャンだったテナーの潤ちゃんをバンドに迎えました。残りの4人はアマチュアです。ドラムの鏡くんはまだ慶応大学の学生でした。

 この相楽バンドでしばらくの間活動しました。


1991年6月15日(日)
<千駄ヶ谷 日本青年館ホール>
「苅田・$子 結婚披露宴」
(理科大ジャズ研先輩・後輩)
久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b)

 理科大ジャズ研先輩で4つ上の先輩のテナーの苅田さんと、1つ下の後輩のアルトの$子の結婚披露宴がありました。場所は千駄ヶ谷の日本青年館ホールでした。この披露宴のバック演奏を行いました。

 二次会はこの2週間後の6月30日(日)に六本木のサテンドールで開かれました。

 苅田さんと$子は「じみたの歴史」のいろんなところに登場してるんでここでは改めて書く必要はないですね。


1991年6月29日(土)
☆リクルート社のパーティでの演奏
<リクルート社 東新橋ビル>
「理科大ジャズ研OBバンド」
林(g) 牛山(g) 野村潤(ts) じみた(p) 大橋(b) 西尾研一(ds)

 理科大ジャズ研先輩のドラムの市川さんの勤めている会社のパーティがありました。場所はリクルート社の東新橋ビルです。バンド演奏のパーティでいくつかのバンドが演奏していました。そのパーティに理科大ジャズ研OBバンドで参加しました。ドラムの西尾さんは理科大ではなく、東工大のジャズ研OBです。


1991年7月12日(金)
<本郷 スポーツクラブ>
「パーティ」
「波多野"Payapa"素子 グループ」
波多野"Payapa"素子(vo) 田中邦和(ts) 久保田浩(p) 脇義典(b)

 本郷のスポーツクラブのパーティのバック演奏を行ないました。ヴォーカルのPayapaは理科大ジャズ研の後輩、テナーの田中くんとベースの脇くんは東大のジャズ研でした。


1991年7月14日(日)
☆デモテープレコーディング
<新富町 平凡商事>
「相楽賢哉 デュオ」
相楽賢哉(tb) 久保田浩(p)

 明治BSのOBのトロンボーンの相楽くんとデモテープのレコーディングを行いました。場所は新富町の平凡商事でした。

 「ブルーレディーに赤いバラ」というスタンダードがなんかよかったです。


1991年7月16日(火)
<西麻布 ウッディベル>
「志水まどか セッション」
志水まどか(vo) 久保田浩(p) 志村洋一(b) 天川洋一(ds)

※初共演:志水まどか(vo) 天川洋一(ds)
※ウッディベルで志水まどかセッション開始

 西麻布のヴォーカルスクール「ウッディベル」でヴォーカルの志水まどかさんのセッションのリーダーバンドをやりました。この後、しばらくの間、志水まどかセッションは続きます。

 この頃、ドラムの天川さんと初めて一緒に演奏したと思います。


1991年8月3日(土)
<代々木 NARU>
「井口健一 グループ」
井口健一(ts) 久保田浩(p) 鈴木保志(b) 宮本達也(ds)

※初共演:井口健一(ts) 鈴木保志(b) 宮本達也(ds) 小俣景子(vo)
※井口バンドに参加

 井口バンドのピアノのトラで、初めて代々木「NARU」に主演しました。井口さんは私の出身である理科大ジャズ研の大先輩です。

 当時、井口バンドのピアノは別の方がレギュラーでした。この日はその方が出来ないというので私がトラで誘われました。ところがその後なぜかピアノはずっと私に・・・いつのまにか私がレギュラーになってました。

 井口バンドにはこの後約6年間たいへんお世話になりました。また井口バンドで数々のミュージシャンやヴォーカリストと知り合いになりました。

 またこの頃の井口バンドにはヴォーカルはいませんでした。この日のベースは鈴木保志さんでしたが、レギュラーは理科大ジャズ研の先輩の浅田さんがやっていました。

 この日ではなかったと思いますが、井口バンドでヴォーカルの小俣景子ちゃんに会いました。井口バンドの日に代々木「NARU」でアルバイトをしていて、飛び入りで歌っていました。


1991年8月10日(土)
☆ライブ鑑賞
<恵比寿 ローズルーム>
「古川奈都子 グループ」
古川奈都子(p)

 ピアノの古川奈都子さんのデキシーのバンドを見に、恵比寿のライブハウス「ローズルーム」へ行きました。他のメンバーは覚えていません。古川さんはとても力強いピアノでした。

 本当は古川さんを見に行ったわけではありません。確かこのバンドのドラムの人が、一緒に見に行った人の知り合いだったので見に行きました。


1991年9月6日(金)
<西麻布 ウッディベル>
「相楽賢哉 グループ」
野村潤(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 鏡剛(ds)
※超満員のライブ

 西麻布のヴォーカルスクール「ウッディベル」で、明治BSのOBのトロンボーンの相楽くんのバンドでライブを行いました。

 この時のお客さんの多かったこと。このお店はだいたい30人ぐらいで満員になるんですが、40人以上お客さんが来ていました。立ち見まで出ていました。とにかくものすごい数のお客でした。

 中央大学スイングクリスタルのピアノの戸塚多恵子ちゃんが見に来てましたね。名前は知ってましたが初めて会いました。うわさには東南アジア系のまゆげをしているとか聞いてましたが・・・なるほど・・・でもとてもかわいい子です。


1991年9月8日(日)
<新宿 カーニバル>
「結婚式二次会」
(理科大ジャズ研後輩 Payapa関係)
波多野"Payapa"素子(vo) 久保田浩(p)

 理科大ジャズ研の後輩のPayapaに誘われて、結婚式二次会で演奏を行いました。デュオです。

 3曲演奏しましたが、その中の「Tuck & Patty」の「Tears Of Joy」はよく覚えています。これは難しい曲です。もともとギターとデュオの曲ですからね。でもなかなかよかったです。


1991年9月21日(土)
<目白 椿山荘>
「相楽くん 結婚披露宴」
(明治BS後輩)
久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b)

 明治BSのOBのトロンボーンの相楽くんの結婚披露宴があり、この披露宴のバック演奏を行いました。場所は目白の椿山荘でした。相楽くんの後輩でもある安ヵ川くんとデュオでした。


1991年10月4日(金)
<銀座 28'GINZA>
「相楽賢哉 グループ」
熊谷卓(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 鏡剛(ds)

※初共演:熊谷卓(ts)

 この年の6月にあった銀座の「28'GINZA」でのSwing Spiceという名の企画の第2段がありました。前回と同様、明治BSのOBのトロンボーンの相楽くんのバンドでライブを行いました。テナーの熊谷くんは慶応ライト出身で私と同期です。私は学生の時に六大学ビッグバンドコンサートで顔は知っていましたが、一緒に演奏するのはこれが初めてでした。

 相楽バンドはこのメンバーでしばらくの間、「Wood Bell」でライブを行います。

 この日、ベースの古西くんが見にきました。相楽くんの後輩ですからね。


1991年10月17日(木)
<西麻布 ウッディベル>
「波多野"Payapa"素子 バースデイライブ」
波多野"Payapa"素子(vo) 本田健二(tp) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(eb) 田中尚穂(ds) 伊達弦(per)

※初共演:伊達弦(per)

 理科大ジャズ研の1つ下の後輩、Payapaのバースデイライブを西麻布の「ウッディベル」で行ないました。この時演奏した「Ya-Tra-Ta」はよく覚えています。トランペットの本田くんは東工大のジャズ研出身です、私より少し下の代です。

 パーカッションの伊達弦さんはドラムの田中高穂さんが連れてきました。弦さんはこの時は無名でしたが、のちに「オルケスタ・デ・ラ・ルス」のパーカッションとして世界中で大活躍しました。体がでかく色黒で、いかにもパーカスって感じの人で、性格もとてもよく、音楽に対しては超真面目でした。


1991年10月26日(土)
<場所?>
「広瀬さん・望主さん 結婚披露宴」
(理科大ジャズ研先輩)
じみた(p) φ(フェイ)(b)

 理科大ジャズ研で3つ上の先輩のギターの広瀬さんと、1つ上の先輩のピアノの望主さんの結婚披露宴がありました。この披露宴のバック演奏を行いました。

 広瀬さんは私が入部したときの部長でした。その時はレギュラーバンド「スパイラル・ステップス」にいました。いや~、ギターうまかったですね。先輩にも「理科大始まって以来だ」とか言われました。広瀬さんはめずらしく(?)4年で卒業し就職したので一緒にいたのは1年間だけでした。まあでも合宿やら理大祭やらには必ず来てますね。

 望主さんは大学は東京女子大学です。望主さんも私が入部したときに「スパイラル・ステップス」にいました。翌年も「スパイラル・ステップス」でした。私が現役の時は望主さんのピアノ参考にさせていただきました。


1991年11月2日(土)
<目白 椿山荘>
「結婚披露宴」
(東工大ジャズ研OBの西尾さん関係)
「西尾研一 グループ」
久保田耕司(as) 久保田浩(p) 脇義典(b) 西尾研一(ds)

 東工大ジャズ研OBのドラムの西尾さんに誘われて、結婚披露宴でバックの演奏を行いました。アルトの久保田耕司さんも東工大のジャズ研OBです。ベースの脇くんは東大のジャズ研です。


1991年11月3日(日) [1]
☆理科大ジャズ研のコンサートに出演
<六本木 ピットイン>
「係長 能登谷厚Ⅱ」
Eve(tp) 苅田(ts) 牛山(g) じみた(p) φ(フェイ)(b) 能登谷(ds)

 この日、理科大ジャズ研コンサートと早稲田祭の2ヶ所で演奏しました。

 理科大ジャズ研コンサートは場所は六本木のピットインでした。これはOBバンドです。しかし<係長能登谷厚Ⅱ>・・・安易というかなんというか・・・過去のコンサートのパンフレット見るといつ昇進したかわかってしまうじゃないですか。まあいいんですけどね。



1991年11月3日(日) [2]
☆早稲田大学の学祭に出演
<早稲田 ハイソ>
「小澤祐二 グループ」
小澤祐二(ts) 久保田浩(p) 小野寺浩(b) 鏡剛(ds)

 早稲田祭のほうは場所は早稲田ハイソで小澤バンドで出演しました。



1991年11月3日(日) [3]
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「中村誠一 グループ」
中村誠一(ts) 竹野昌邦(ts) 竹内直(ts) 臼庭潤(ts) 南博(p) 鈴木良雄(b) 村石雅行(ds)

※テナーのブランフォード・マルサリスが飛び入り

 この年だったかどうか覚えていません。テナーもこの3人かどうか怪しいです。

 早稲田祭に行き、そこでうわさが流れました。

  「今日の新宿ピットにブランフォードが
   飛び入りするらしい。」

どこでそういう情報を仕入れるのか知りません。ほんとかどうかもわかりません。中村誠一さんも見たことないし、行ってみるか、ということで行きました。

 4人のテナーのバンドでした。2ステージめの途中でうわさどおり、ブランフォード・マルサリスが紹介され、ステージにあがりました。しかも楽器は持ってきておらず、誰かのソプラノを借りて吹いていました。曲はブランフォードのオリジナルでは一番有名な「Swingin' At The Heaven」でした。素晴らしかったです。このメンバーの中ではベテランは中村さんとチンさんこと鈴木良雄さんだけです。2人ともブランフォードとは知り合いのようでした。ブランフォードは2人と話をしていました。


1991年11月4日(月)
<新宿 ホテルサンルート東京>
「西田くん 結婚披露宴」
(明治BS後輩)
久保田浩(p) 磯部英貴(b)

※初共演:磯部英貴(b)

 明治BSのOBのドラムの西田くんの結婚披露宴があり、この披露宴のバック演奏を行いました。場所は新宿のホテルサンルート東京でした。ベースは西田くんの先輩である磯部くんです。

 学生時代に顔は知っていた磯部くんと初めて一緒に演奏しました。


1991年11月13日(水)
☆古西くんに誘われて早稲田スイング研に遊びに行く

※初共演:古西忠哲(b)

 明治BSのベースの古西くんに誘われて早稲田スイング研に遊びに行きました。この頃から古西くんとセッションするようになりました。


1991年11月23日(土)
☆理科大の学祭にゲストバンドで演奏
<理大祭 あけみ>
「久保田浩 グループ」
久保田耕司(as) 久保田浩(p) 脇義典(b) 西尾研一(ds)
佐藤"ハチ"恭彦(b, 1曲のみ)

 理大祭「あけみ」に私が連れて来たメンバーで演奏を行いました。ベースの脇くんが遅刻したため、最初の1曲だけ、この時遊びに来てたベースの佐藤"ハチ"恭彦くんに演奏してもらいました。


1991年11月24日(日)
☆東大の駒場祭に遊びに行く

 東京大学の駒場祭に遊びに行きました。東大ジャズ研のベースの脇義典くんや東工大ジャズ研のピアノの阿部くんなどがいました。

 一番最初のバンドはなぜか今井美樹の歌をやっていました。なんぢゃいったい?

 その曲が終わるとMCを始めました。

  「突然、今井美樹の歌でびっくり
   されたと思いますが、」

ええそうです、私はジャズを聴きに来たのです。

  「次も今井美樹の歌で・・・」

ジャズ研でやる必要はないと思うのですが。


1991年12月8日(日)
☆明治BS 相楽・西田・ 橋本 合同結婚パーティ

 明治BSで私の1つ下の代になる、トロンボーンの相楽くん、テナーの橋本くん、ドラムの西田くんの合同結婚パーティがありました。場所は青山のベルコモンズでした。合同結婚式二次会です。でも橋本くんはこの後に披露宴があるんですけど・・・

 3人の合同パーティですから規模が大きいです。それにベルコモンズですからね。普通の披露宴会場やライブハウスとは大きさが違う。何百人入るかわかりません。パーティ自体も演奏や普通のゲームだけでなく、占い師の場所があったりでたいへん楽しいものでした。

 私は客入りの時に、理科大ジャズ研の後輩の$子や慶応ライトの熊谷卓くんたちと演奏をしました。メインはやはりビッグバンドです。このパーティ用の特別ビッグバンドがありました。もちろん六大ビッグバンド連盟関係者です。最後は彼らも加わって演奏しました。すばらしいパーティでした。


1991年12月9日(月)
<西麻布 ウッディベル>
「相楽賢哉 グループ」
熊谷卓(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 岩城昌宏(ds)

 西麻布のヴォーカルスクール「ウッディベル」で、明治BSのOBのトロンボーンの相楽くんのバンドでライブを行っていますが、この時からドラムが替わりました。ドラムの岩城くんは中央大学スイングクリスタルです。私の3つ下の代になります。

 相楽バンドはこのメンバーでしばらく続けることになります。


1991年12月12日(木)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「オスカー・ピーターソン トリオ+1」
オスカー・ピーターソン(p) ハーブ・エリス(g) レイ・ブラウン(b) ジェフ・ハミルトン(ds)

 青山の「ブルーノート」にオスカー・ピーターソンのライブを見に行きました。3回目です。前回とメンバーは同じでした。

 内容も前回と同様です。すばらしいライブでした。


1991年12月22日(日)
<目黒 八芳園>
「橋本くん 結婚披露宴」
(明治BS後輩)
久保田浩(p) 磯部英貴(b)

 明治BSのOBのテナーの橋本くんの結婚披露宴があり、この披露宴のバック演奏を行いました。場所は目黒の八芳園でした。ベースは橋本くんの先輩である磯部くんです。


1991年12月23日(月)
<西麻布 ウッディベル>
「ヴォーカル発表会」
久保田浩(p) 大坪寛彦(b) 中野裕次(ds) 他(vo)

※初共演:大坪寛彦(b) 中野裕次(ds)
※ウッディベルのヴォーカルバック開始

 西麻布のヴォーカルスクール「ウッディベル」で、ヴォーカル発表会のバック演奏の仕事を初めてやりました。このあと「ウッディベル」のヴォーカルのバック演奏の仕事をすることになります。ある日、ここの講師である鈴木比呂子さんに誘われました。ヴォーカルのバックなんか慣れていなかったんですけどね。どこがよかったのか・・・誘っていただきました。

 ベースの大坪さんとドラムの中野さんと初めて一緒に演奏しました。ベースの大坪さんは早稲田ダンモのOBで私の3つ上なんですが、実は出身高校が福岡県立東筑高校で私と同じでした。大坪さんはウッドベースですが「Woody Bell」ではサイレントベースをよく弾いています。棒みたいなベースです。

 この日の入り時間は午後3時で終了時間は夕方7時でした。そういう時間帯で発表会をやっていました。食事もありました。日曜日にやることが多かったですね。


1991年12月26日(木)
<西麻布 ウッディベル>
「Hammingbirds ラストライブ」
波多野"Payapa"素子(vo) 中馬啓子(vo) 苅田"$子"恭子(as)
久保田浩(p) 脇義典(b) 天川洋一(ds)

※初共演:中馬啓子(vo)

 西麻布のヴォーカルスクール「ウッディベル」で、理科大ジャズ研後輩のPayapaが属していたHammingbirdsというグループのラストライブの演奏を行いました。

 この時、Payapaにヴォーカルの中馬(ちゅうま)さんを紹介してもらいました。この時はとてもおとなしかったです。本人もあとから、

  「ブタかぶってました」

と言ってますが。この後、私は中馬さんがナニモンであるかだんだんわかってくるようになりますが・・・ほんとにおもろい子ですよ。ちなみに私とは同い年です。誕生日も何日しか違いません。彼女は出身は宮崎県、私は福岡県、同じ九州であります。まあそんなこんなで仲良くさせてもろうてます。ダチです。・・・いや向こうはそう思ってないかも。


1991年12月31日(火)
☆ライブ鑑賞
<新宿 カーニバル>
「大晦日オールナイトライブ」

※この日演奏していたバンドの中の1つ、鈴木道子グループを観る
※ヴォーカルのイメージが変わる、人生が変わる

 これです。私のヴォーカルのイメージが変わったのは。ヴォーカル嫌いが終わったのは。

 ヴォーカルの小俣景子ちゃんと彼女の友達と私の3人で、新宿にあったライブハウス「カーニバル」の大晦日のオールナイトジャムセッションを見に行きました。大晦日のオールナイトライブはほとんどのライブハウスでやっていますが、「カーニバル」のライブはピアノの本田竹廣さんがリーダーでした。本田さんはいくつかのバンドで弾いていました。

 この当時は、まだ私はヴォーカルがあまり好きではありませんでした。聴くのも演奏するのもです。子どもの頃からの歌嫌いをずっと引きずってました。

 このライブの何番目かのバンドで、ある女性ヴォーカリストが出たんですが、やっぱりおもしろくなかった。つまんなかった。ただそのバンドのバックで弾いていたピアノの大口純一郎さんはとてもよかったです。

 他に印象に残ったのは、パーカッションの田中倫明さん、なんかよかったですねえ。あとパーカッションの今村祐司さんも初めて見ました。最後のバンドでアルトの藤陵雅裕さんを初めて見ましたがよかったです。ドラムは平山恵勇さんでしたね。あとはテナーの高橋知己さん、ベースの米木康志さん、ドラムの本田珠也さんなども初めて見ました。

 でも私にとってはケタ違いに印象に残ったのがヴォーカルの鈴木道子さんでした。いやケタ違いというレベルではありません。私の人生が変わってしまいました。

 鈴木道子さんはピアノの本田さんのトリオがバックでした。バンドが始まるときにバンド紹介があります。で、私はヴォーカルのバンドだと聞いて「次はヴォーカルか。退屈だなあ。」と思っていました。ところが始まると・・・まるで管楽器がテーマをやってるのと同じ印象でした。私はそういう感じのヴォーカルは初めてです。道子さんはスキャットはやっていません。別に無理に管楽器のように歌っていたわけではありません。管楽器に似てるような声を出していたわけでもありません。普通といえば普通です。普通にテーマを歌っているだけなんですが、管楽器がテーマを吹いてるのと同じに聞こえたんです。こんなに歌だけで表現できるものなのか?と感心して聞き惚れてしまいました。特にこの時歌った、ビリー・ジョエルの「Just The Way You Are」、これをミドルテンポの4ビートで歌ったんですが、これがとてもとてもよかった。最後の曲が終わってからも、もっと歌ってくれという思いでした。ヴォーカルでこんなことを思ったのは初めてでした。

 あまりのよさに次の年早々、鈴木道子さんのライブを見に行ってしまいました。

 私のヴォーカル嫌いがこの日で終わりました。

 私がヴォーカルを好きになったり、ヴォーカルのバックの演奏が好きになったのは、鈴木道子さんのおかげです。このライブを見に行ってなかったら、ずっとヴォーカル嫌いのままだったかもしれません。ヴォーカルのバックの演奏もやってなかったかもしれません。これは私の人生が変わったといっても過言ではありません。





じみたの歴史目次
じみたトップページ