じみたの歴史

2003年(37歳~38歳)

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2003年1月1日(水)~
☆自宅療養

2003年1月
☆右脚の痛みが出始める

2003年4月
☆大腿骨骨頭壊死

2003年5月~6月
☆ステロイドがなくなる、副腎からホルモンが出なくなる

2003年6月
☆食欲不振、貧血、栄養失調

2003年6月14日(土)
☆演奏
<朝霞台 停車場>
久保田浩(p) 佐瀬正(b) 紺野智之(ds)
※初共演:紺野智之(ds)
※貧血で飛び入り参加状態

2003年6月18日(水)
☆ライブ鑑賞&演奏
<朝霞台 停車場>
「堀秀彰 グループ」
堀秀彰(p) 安田幸司(b) 海野俊輔(ds)
飛び入り:
六角幸生(vo) TOKU(vo, flh) 守谷美由貴(as) 久保田浩(p) 佐藤"ハチ"恭彦(b)
※初共演:安田幸司(b) 守谷美由貴(as)

2003年6月21日(土)
☆ライブ鑑賞&演奏
<代々木 NARU>
「井口健一4+三槻直子」
三槻直子(vo) 井口健一(ts) 永井隆雄(p) 磯部英貴(b) 諸田富男(ds)

☆その後、ゲートワンへ

2003年7月14日(月)
★★★
実家の北九州市へ帰る


2003年8月11日(月)
☆セッション参加
<小倉 ビッグバンド>
野本秀一(p) 小車洋行(b) 出口成信(ds)
参加者:
久保田浩(p) 中村よしえ(g) 中島由紀子(p)
※ビッグバンドセッションへ連れて行ってもらう



埼玉の検査入院と高田馬場のイントロセッション
2003年8月13日(水)~18日(月)

これは日記のページにまとめてあります。
埼玉の検査入院と高田馬場のイントロセッション
概要(このページ内)

前置き

2003年8月13日(水)
入院初日

2003年8月14日(木)
入院2日目 検査食の1日

2003年8月15日(金)
入院3日目 検査

2003年8月16日(土)
退院~イントロセッション

2003年8月17日(日)
休日

2003年8月18日(月)
帰郷



2003年8月19日(火)
☆身体障害者と特定疾患を申請



北九州 鉄人ジャズフェスティバル in 若松 安ヵ川大樹・大坂昌彦
2003年8月22日(金)~23日(土)

これは日記のページにまとめてあります。
北九州 鉄人ジャズフェスティバル in 若松 安ヵ川大樹・大坂昌彦
概要(このページ内)

2003年8月22日(土)
☆ベースの安ヵ川くんと再会
<小倉 ビッグバンド>
<小倉 カサブランカ>

2003年8月23日(土)
☆コンサート鑑賞
<若松市民会館>
<鉄人ジャズフェスティバル>
「アキコ・グレース グループ」
アキコ・グレース(p) 安ヵ川大樹(b) 大坂昌彦(ds)

☆セッション参加
<若松 エルエバンス>
久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b) 大坂昌彦(ds)



2003年9月1日(月)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<黒崎 ストロベリーサワー>
「Naomi グループ」
Naomi(vo) 宮吉英彰(p)
※初共演:Naomi(vo)

2003年9月2日(火)
☆向坊邸でセッション
※初共演:増根隆司(b)

2003年9月5日(金)
☆ライブ鑑賞&参加
<天神 ニューコンボ>
「古地克成 DELTA」
古地克成(ds) 佐藤帆(ts) 関根彰良(g) 安東昇(b)
飛び入り:久保田浩(p)
※初共演:佐藤帆(ts) 安東昇(b)

2003年9月6日(土)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<黒崎 ストロベリーサワー>
「Fever中島 グループ」
Fever中島(as) 上村貴子(p)
飛び入り:久保田浩(p) 余島研一(p)

2003年9月12日(金)
<下関 ホテル 場所?>
「パーティ」
「秋山仁希 グループ」
秋山仁希(vo) 久保田浩(p) 向坊英雄(b) 川内のぶゆき(ds)

2003年9月13日(土)
<小倉 チャチャタウン>
「Naomi グループ」
Naomi(vo) クレイトン(as) 久保田浩(p) 向坊英雄(b) 川内のぶゆき(ds)

2003年9月20日(土)
<若松 エルエバンス>
「ジャムセッション ホスト」
南山裕司(g) 久保田浩(p)
※初共演:定行洋(ds)

2003年9月26日(金)
福岡クロッシングホールでの飛び入り演奏
トラベラーズ with akiko
トラベラーズ akiko(vo)
飛び入り:久保田浩(ep)
※akikoとの再会
小沼ようすけ(g) 金子雄太(org) 大槻カルタ(ds)

2003年9月29日(月)
☆ライブ鑑賞
<福岡 ブルーノート>
「Saya グループ」
Saya(p) 塩田哲嗣(b) 藤井伸昭(ds)
※ベースの塩田くんと再会

2003年9月30日(火)
<田川 ブルーノート>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 伊藤正彦(b) 定行洋(ds)

2003年10月?
☆向坊邸でセッション
※初共演:井島正雄(b)

2003年10月7日(火)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<福岡赤坂 バックステージ>
「田中克紀 デュオ」
田中克紀(g) 秋吉秀信(b)

2003年10月8日(水)
☆ライブ鑑賞
<福岡 Rooms>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 続木力(as) 林正樹(p)

☆ライブ鑑賞
「鈴木良雄 グループ」
<福岡赤坂 バックステージ>
鈴木良雄(b) 井上信平(fl) 野力奏一(p) 岡部洋一(per)

2003年10月10日(金)
☆誕生日
<小倉 カサブランカ>
Naomi(vo) 定行洋(ds)

2003年10月
☆身体障害者認定・障害年金申請

2003年10月14日(火)
☆ライブ鑑賞
<小倉 ビッグバンド>
「中村健吾・後藤浩二 デュオ」
中村健吾(b) 後藤浩二(p)

2003年10月15日(水)
☆ライブ鑑賞
<八幡 ANDY>
「ドナルド・エドワーズ トリオ」
ドナルド・エドワーズ(ds) ロバート・グラスパー(p) ダリル・ホール(b)

2003年10月16日(木)
<福岡 シーホークホテル>
「パーティ」
Naomi(vo) 久保田浩(p)

2003年10月18日(土)
<若松 エルエバンス>
「ジャムセッション ホスト」
南山裕司(g) 久保田浩(p)
※初共演:鎌倉規匠(ds)

2003年10月19日(日)
<八幡 ANDY>
「久保田浩 グループ」
Naomi(vo) 久保田浩(p) 小車洋行(b) 中村健(ds)
セッション:
中村よしえ(g) 鎌倉規匠(ds) 定行洋(ds)

2003年10月22日(水)
☆クロスFM見学

☆ライブ鑑賞
<中洲 リバーサイド>
「渡辺文男 トリオ」
渡辺文男(ds) 吉田桂一(p) 佐々木悌二(b)



デューク・エリントン楽団 in 福岡 小島勉・Naomi・小林恵子・定行洋
2003年10月30日(木)~11月1日(土)

これは日記のページにまとめてあります。
デューク・エリントン楽団 in 福岡 小島勉・Naomi・小林恵子・定行洋

2003年10月30日(木)
☆ライブ鑑賞
<福岡赤坂 バックステージ>
「佐藤達哉 グループ」
佐藤達哉(ts) 米田正義(p) 早川哲也(b) 小島勉(ds)
デューク・エリントン楽団がセッションしに来た!

2003年10月31日(金)
☆小林恵子ちゃんが福岡入り
デューク・エリントン楽団が来たらしい。

2003年11月1日(土)
<福岡大名のホテル>
「結婚式の演奏」
小林恵子(vo) 久保田浩(p)
デューク・エリントン楽団はやはり来た!



2003年11月10日(月)
☆ドラムのヤス岡山さんの家へ遊びに行く

2003年11月13日(木)
<ラジオ出演 クロスFM>
久保田浩(p) Naomi(vo)

2003年11月19日(水)
☆障害年金受給決定



大森明 from 東京!
九州ツアー
2003年11月21日(金)~23日(日)

これは日記のページにまとめてあります。
大森明 九州ツアー

前置き

2003年11月21日(金)
<熊本 ペイアノPLUS>
大森明(as) 久保田浩(p) 村上明(b) 中村健(ds)
※初共演: 村上明(b)

2003年11月22日(土)
<大牟田 グランドホテル清風荘>
大森明(as) 久保田浩(p) 村上明(b) 中村健(ds)

2003年11月23日(日)
<大牟田 グランドホテル清風荘>
「中学校同窓会」
大森明(as) 久保田浩(p) 村上明(b) 菅原高志(ds)
※初共演: 菅原高志(ds)



東京ツアー 2003年
2003年11月24日(月)~12月7日(日)

これは日記のページにまとめてあります。
じみた 東京ツアー 2003年

前置き

2003年11月24日(月)
<東京理科大学 学祭>
「理科大ジャズ研主催『ジャズ喫茶あけみ』」
「久保田浩スペシャルバンド featuring TOKU」
TOKU(vo, flh) 久保田浩(p) 佐藤"ハチ"恭彦(b) 大井澄東(ds)

2003年11月25日(火)
<新宿 DUG>
「TOKU & Friends」
TOKU(vo, flh) 久保田浩(p) 佐藤"ハチ"恭彦(b) 藤井伸昭(ds)

2003年11月26日(水)
<吉祥寺 メグ>
「諸田富男 グループ」
福永綾子(vo) 宮本やすし(tp) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

2003年11月27日(木)
☆ライブ鑑賞
<水道橋 東京倶楽部>
「鈴木道子 グループ」
鈴木道子(vo) 元岡一英(p) 小杉敏(b) 渡辺文男(ds)

☆セッション参加 (深夜)
<阿佐ヶ谷 マンハッタン>
石田衛(p) 安田幸司(b) 紺野智之(ds)

2003年11月28日(金)
☆元セガ・サウンドチームの飲み会

2003年11月29日(土)
<大宮 アコースティックハウス・ジャム>
「向井滋春 グループ」
向井滋春(tb) 久保田浩(p) 畠山芳幸(b) 安藤正則(ds)

☆セッション参加 (深夜)
<高田馬場 イントロ>

2003年11月30日(日)
<新宿 J>
「諸田富男 グループ」
中馬啓子(vo) 近藤淳(vo) 青木泰成(tb) 久保田浩(p) 矢野伸行(b) 諸田富男(ds)

2003年12月1日(月)
☆ライブ鑑賞
<六本木 サテンドール>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 塩本彰(g) 秋田慎治(p) 香川裕史(b) 岡部洋一(per)

2003年12月2日(火)
<高田馬場 サニーサイド>
「諸田富男 グループ」
高橋エミ(vo) 竹田直哉(vib) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

2003年12月3日(水)
<菊川 なぁ~じゅ>
「高樹レイ グループ」
高樹レイ(vo) 井上信平(fl) 久保田浩(p) 池田芳夫(b)

2003年12月4日(木)
<自由が丘 ラリュ>
「のぶよしじゅんこ グループ」
のぶよしじゅんこ(vo) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b)

2003年12月5日(金)
<入谷 Four&More>
「つばっち+久保田浩3」
つばっち(vo) 久保田浩(p) 香川裕史(b) 小島勉(ds)

☆セッション参加 (深夜)
<高田馬場 イントロ>
安田幸司(b)

2003年12月6日(土)
☆オフ

2003年12月7日(日)
☆帰郷



2003年12月9日(火)
<ホテル>
「八幡ロータリークラブ」
南山裕司(g) 久保田浩(p) 増根隆司(b) 鎌倉規匠(ds)

2003年12月11日(木)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<中洲 トロンボーンクラブ>
「中嶌真平 デュオ」
中嶌真平(g) 小牧良平(b)
※初共演:中嶌真平(g) 小牧良平(b)

2003年12月13日(土)
<八幡 ANDY>
「久保田浩 グループ」
国貞雅子(vo) 久保田浩(p) 小車洋行(b) 鎌倉規匠(ds)
※初共演:国貞雅子(vo) 古田織衣(vln)

2003年12月14日(日)
<小倉 マヤ>
「南山裕司 グループ」
南山裕司(g) 久保田浩(p) 小車洋行(b) 北原和夫(ds)
※初共演:北原和夫(ds)

2003年12月15日(月)
☆セッション参加
<小倉 ビッグバンド>
「ラストセッション」
野本秀一(p) 小車洋行(b) 出口成信(ds)

2003年12月16日(火)
<田川 ブルーノート>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 伊藤正彦(b) 定行洋(ds) 鎌倉規匠(ds) Naomi(vo)

2003年12月17日(水)
☆特定疾患受給票が届く
※遅すぎ

2003年12月29日(月)
☆セッション参加
<小倉 ビッグバンド>
「マスターを励ます会」

2003年12月30日(火)
☆セッション参加
<田川 ブルーノート>
「筑豊ジャズ忘年会」
久保田浩(p) 伊藤正彦(b) 定行洋(ds) 北原和夫(ds) Naomi(vo) 鎌倉規匠(ds)




上記以外のライブや仕事です。

<八幡 ANDY>
「久保田浩 グループ」
Naomi(vo) 久保田浩(p) 小車洋行(b) 鎌倉規匠(ds)

<田川 ブルーノート>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 伊藤正彦(b) 定行洋(ds)




2003年1月1日(月)~
☆自宅療養

 前年の12月30日に最後の白血球除去で1日入院し、31日に退院したばかりです。自宅療養の続きです。パソコンをやる日々が続きます。家でエレピを弾く気にはまったくなれなかったですね。もう将来ピアノを弾くことはないのではないか?と思い始めたのはこのころかもしれません。練習しても無駄、って思っていました。それにいつまで経っても病状はよくならなかったですからね。通常の人間とはかけ離れた生活をしていました。


2003年1月~
☆右脚の痛みが出始める

 1月ぐらいからだったと思います。右脚の付け根に痛みが出始めました。実はこの痛み、初めてではありません。前年にも同じような痛みが出て、そのときは1週間ぐらいで痛みがなくなりました。原因はわかりません。で、また同じ痛みだったので「あの時と同じだろう」とほったらかしにしてました。でも今回はいつまで経ってもよくなりませんでした。病院に行くのもたいへんでした。数分歩くだけで痛くてどうしようもない状態になりました。

 これはステロイドの副作用じゃないか?と思い始めたのは何週間かしてからです。ステロイドの副作用で骨がもろくなる現象がほとんどの人で起きるのはわかっています。それ以上ステロイドを飲み過ぎると骨粗鬆症になります。でもこれで済めばいいんです。最悪、大腿骨の骨頭部分の組織が死んでしまうというおそろしい病気になってしまう場合があります。これが出てきたんではないか?と思い始めました。


2003年4月
☆大腿骨骨頭壊死

 4月頃、脚の痛みが治らないので、主治医に診てもらうことにしました。検査はレントゲンのみ。右脚付け根の部分のレントゲン撮影です。結果は、やはり大腿骨骨頭壊死でした。左側は正常なんですが、右側の骨頭部分の組織が死にかかっている状態でした。この病気自体も厚生労働省の難病に指定されてい難病です。このころはもうステロイドがなくなっていたので、これ以上進行することはないだろう、ということでした。といっても歩くのはたいへんだし、治ることはおそらくない・・・これは最悪ですね。

 この病気は、身体障害者の指定の病気です。これで身体障害者を取得することにしました。特定疾患(難病)はたいしていいことがないんです。通院・薬代・入院費が安くなるぐらいです。身体障害者はもっと幅広く国に援護されていますから、取得したほうが絶対にいいのです。

 治療はありません。せいぜい骨粗鬆症の治療で薬と注射ぐらいです。でもこれは期待出来ません。それにステロイドはなくなっているのですから、病気の進行もおそらくありません。といって治るものでもありません。また、手術するほどひどいわけじゃありません。うまく、この状態で骨が固まってくれば痛みは少し治まるだろう、とのことでした。放置しかありません。

 主治医が、「脚に負担をかけないように松葉杖を使ったほうがいい」と言うので、松葉杖を使うことにしました。最近はタイプが2つあり(従来の脇の下からのものと、腕で支えるだけのより簡単なもの) また片方と両方を使う方法があるのですが、結局、従来のものを両腕使うのが一番疲れないことがわかり、そうすることにしました。そこまでひどい状態ではないのですが、松葉杖は従来のものを2本、が一番使いやすいです。


2003年5月~6月
☆ステロイドがなくなる、副腎からホルモンが出なくなる

 この年の1月あたりから順調にステロイドの量は減っていき、ついに5月には0mgとなりました。主治医曰く、「奇跡だ!」。まあ2年前に入院し手術決定となったぐらい大腸の状態はグチャグチャだったんですから、まさか手術なしでステロイドが0gmになるなんて誰も予想してなかったことです。潰瘍性大腸炎患者では初めてのことかもしれません。私の症例は学会で発表されているかもしれません。

 ストロイドというのは、実体は副腎皮質ホルモンです。この抗炎症作用はかなり強く、そのために潰瘍性大腸炎の潰瘍が治まるのです。これを外部から取り入れるのですから、あまり量が多かったり期間が長かったりすると、内臓の副腎からホルモンが出なくなってしまうことがあります。これが副腎不全です。私の場合、3年ぐらいステロイドを飲んでいたため、副腎からホルモンが出なくなっていたらしいのです。ホルモンが出なくなること自体の自覚症状はありません。ホルモンが体内でいろいろ作用しているので、何かのバランスが崩れたりして気が付きます。最悪はショック死だそうです。

 私の場合は食欲不振が現れました。風邪で食欲がない、とかいう状態とは違います。副腎皮質ホルモンが出ないことによる食欲不振は、まったく食欲0です。気持ち悪いぐらいに食欲がなくなってしまいました。まったく物が食べられなくなり、せいぜいジュースや牛乳を飲む程度の生活になりました。


2003年6月
☆食欲不振、貧血、栄養失調

 副腎不全による食欲不振で、まったく物が食べられなくなり、そのせいか、起きていることが出来なくなりました。5分も座っているとフラフラになってしまいました。薄々「ひょっとしたらホルモンが出てないんではないか?」と思い始めました。

 フラフラの状態で病院へ行き、血液検査をしてもらったら、なんと、

  鉄欠乏性貧血
  栄養失調

飽食の時代の病気ですかねえ? 血液中の鉄とタンパク質がほとんどない、という状態になっていました。

 鉄については、鉄の注射というのをやることになりました。20ccぐらいでした。真っ黒のデッカい注射で静脈注射です。これを何週間かやりました。

 タンパク質については「食べろ」と・・・。こういうのは治療どうのこうのではなく、食欲不振からきているものだから、食べなければようしようもありません。

 あと、副腎皮質ホルモンを出してやるための注射、aCTH(副腎皮質ホルモン刺激ホルモン)というものを肩へ何週間か筋肉注射しました。このホルモンは下垂体から分泌されるホルモンだとか。あるホルモンを出すために別のホルモンを注射するんですね。

 こんなひどい状態から少しずつ回復していきました。でもこの状態って・・・死にかけた状態ですよね。ほとんど餓死って感じ(^^)。座ってパソコンもさわれなかったもんなあ。よく復活したもんです。


2003年6月14日(土)
☆演奏
<朝霞台 停車場>
久保田浩(p) 佐瀬正(b) 紺野智之(ds)
※初共演:紺野智之(ds)
※貧血で飛び入り参加状態

 貧血でとてもひどい状態の中、演奏をしました。ただこのライブは、私は最初から決まっていたものではありません。2年間ピアノを弾いていないし・・・病気祈願ライブは弾いたうちに入らない・・・腹具合はよくならないし、で、状態がよければという条件付でした。ところが貧血が思いっきりひどい状態。あまり行きたくありませんでした。この日、ピアニストは他にもいました。

 なぜ、そんな状態で無理して行ったかというと、ベースの佐瀬さんがいたからです。佐瀬さんは、病気祈願ライブにも来てくれたんです。佐瀬さんにだけはどうしても会いたかった・・・理由はただ1つ、これだけです。

 このライブの前の時間帯、昼の時間ですが、このお店でジャムセッションをやっていました。私はその時間からいました。他のメンバーもいました。そして1曲だけ「All Of Me」を弾くことになりました。実質これが2年間のブランク後の演奏です。

 ジャムセッションには他のピアニストもたくさんいました。で、他の人たちの演奏はといえば・・・私は2年間活動停止中でしたが、アマチュアの演奏というのも聴いていないんです。せいぜいCDを聴くぐらいです。2年間この状態って、音楽的にはかなりいい状態ではあります。世間のジャムセッションってアマチュアの演奏がほとんどですから、そういう演奏も聴いてなく、CDばかり聴いてた、というのは非常にいい状態ではあります。で、この場にいたアマチュアの演奏はというと・・・う~ん、かなりひどいかもしれない。アマってもうちょっとうまくなかったっけ?というのが2年間後の感想でした。

 佐瀬さんと紺野くんとで「All Of Me」を演奏しました。これはかなりウケました。確実にヘタになってるハズなのに、この日一番ウケたというのは、いったいどういうこと? まあ私の感想はどうでもいいとして、佐瀬さんがこの後、友人にメールをして回っているんです。これは他の人から聞きました。私の演奏に感動したらしいのです。これは本当にうれしかったです。この日無理して行った甲斐がありました。ライブも特に問題なく終わりました。

 ドラムの紺野くん、まだ25歳ぐらいですが、かなりいい感じです。もうベテランとも一緒に演奏しているようで、これから期待できる素晴らしいドラマーです。


2003年6月18日(水)
☆ライブ鑑賞&演奏
<朝霞台 停車場>
「堀秀彰 グループ」
堀秀彰(p) 安田幸司(b) 海野俊輔(ds)
飛び入り:
六角幸生(vo) TOKU(vo, flh) 守谷美由貴(as) 久保田浩(p) 佐藤"ハチ"恭彦(b)
※初共演:安田幸司(b) 守谷美由貴(as)

 6月14日の土曜日に停車場に行った時に、「来週の水曜日、TOKUちゃんが遊びに来る」という情報を聞いたのです。TOKUちゃんとは、西麻布のオージャスで知り合って、その後、高田馬場のイントロでベースの塩田くんのリーダーで一緒にバンドをやった仲です。私が活動停止してから爆発的に売れました。そんなのは私はインターネットでしか知りません。いつのまにかHPも出来ていました。この停車場というライブハウスには、まだTOKUちゃんが売れる前に、彼がよく出演していたらしいのです。その義理で年に何回か遊びにくるそうです。それがたまたまこの日でした。彼が遊びに来るなら、私も行ってみようかな?と思いました。1人で行ってもいいんですけど、誰か一緒のほうがいい・・・思い切って、たいへんお世話になったヴォーカルの六角さんに連絡してみたところ、「空いてます。行きましょう。」との返事。うれしかったですねえ。また村山先生からも「来る」という連絡がありました。

 ライブはピアノの堀くんのリーダーでした。終わってから話したんですが、彼は、私が西麻布のオージャスでライブをやっていたころ、前の時間帯のジャムセッションでよく弾いていたとか。私のことはすでに知ってました。このオージャズのセッションはTOKUちゃんを始め、若くていい人たちがたくさんいたのですが、1人1人の名前まで覚えていません。今、考えると、TOKU、堀秀彰、黒田勉、高橋信之介、たちがいたようです。かなりいいセッションだったのはよく覚えています。堀くんのピアノをちゃんと聴いたのは初めてでしたが、彼は素晴らしいですね。この時点でまだ24歳とのこと。24歳とは思えないプレイです。将来有望なピアニストです。

 ドラムの海野くんとは2年ぶりでした。活動停止直前、テナーの若松さんのバンドで一緒でした。ベースの安田くんは初めてでした。この日は私は一緒に演奏していません。

 2ステージ目が終わったぐらいでしょうか。TOKUちゃんが来ました。ベースはハチでした。私・六角さん・村山先生がいる席へ来て挨拶。TOKUちゃんと六角さんとはすでに知り合いだったですね。ジャズ界はどこでどうつながっているかわかりません。

 私は六角さんの歌伴で飛び入り。「A Lovely Way To Spend An Evening」「The Good Life」の2曲でした。両曲ともTOKUちゃんがフリューゲルで参加。ベースはもちろんハチです。

 六角幸生(vo) TOKU(flh) 久保田浩(p) 佐藤"ハチ"恭彦(b) 海野俊輔(ds)

素晴らしいメンバーですね。というかライブじゃ考えられないメンバーです。

 六角さんは途中で帰りました。この時、後から名前を聞いたのですが、アルトの守谷美由貴ちゃんもいました。ステージが終わってハチやTOKUちゃんと話をしたあと、私も帰りました。帰り際、ハチは私のあまりにひどい状態にほとんど涙目状態でした。「またいつか絶対に一緒にライブをやりましょう!」と約束して別れました。学生時代からの仲間ってのはいいもんですね。


2003年6月21日(土)
☆ライブ鑑賞&演奏
<代々木 NARU>
「井口健一4+三槻直子」
三槻直子(vo) 井口健一(ts) 永井隆雄(p) 磯部英貴(b) 諸田富男(ds)
飛び入り:
久保田浩(p) びび(vo) 小林直子(vo)

☆その後、ゲートワンへ

 井口さんの掲示板を見ると、6月の井口バンドにはヴォーカルの三槻さんがいるし、他も知ってる人ばかり。これは行かなければ・・・と遊びに行きました。

 久しぶりに会う人たちばかりでした。で、インストで飛び入りして、遊びに来たヴォーカリストたちの歌伴をやって、その後、三槻さんの歌伴をやりました。これが目的だったりする(^^)。いや~、やはり三槻さんの歌はいいですよ。「My One and Only Love」 と「Day by Day」の2曲です。My One はなんと打ち合わせなしの「愛のデュオ」(^^)。三槻さん、実に素晴らしいです。

 代ナルが終わってから、磯部くんの車にびびと私を乗せて、高田馬場のゲートワンへ行きました。ゲートワンにYagoがいるというのです。

 ゲートワンに着くと、まだセッションをやっていて、最後の2曲ぐらいの時でした。梶原まり子さんの歌を聞いてセッションは終わりました。橋本信二さん、福田重男さん、小泉高之さんなどがいました。深夜2時に閉店で、店を出て、帰りました。


2003年7月14日(月)
★★★
実家の北九州市へ帰る


 病気などの諸事情で東京では生活出来なくなり、実家の福岡県北九州市の八幡へ帰りました。


2003年8月11日(月)
☆セッション参加
<小倉 ビッグバンド>
野本秀一(p) 小車洋行(b) 出口成信(ds)
参加者:
久保田浩(p) 中村よしえ(g) 中島由紀子(p)
※ビッグバンドセッションへ連れて行ってもらう

 実家の北九州市へ帰ったのですが、何もすることはありません。病気が治ったわけじゃないし、こんな状態で普通に仕事は出来ません。潰瘍性大腸炎・白内障・大腿骨骨頭壊死、の3つを持って北九州へ帰りました。東京のようにジャズは出来ないだろうなあ、と思って、実際ジャズはやめようと思っていました。

 北九州へ帰り、ネットも接続して、インターネットでいろいろ検索していると、北九州のアマチュアギターの「中村よしえ」さんという方のHPを見つけました。メールアドレスが書いてあったので、メールをしてみました。すると返事が来て、「毎月第二月曜日に小倉のビッグバンドというお店でセッションをやっています。」という情報をもらいました。まさか北九州にそんなお店があるとは思いませんでした。

 当日、よしえさんに家まで迎えに来てもらいました。そしてお店へ。ちゃんとしたハウスバンドが入ってセッションをやっているのは、北九州あたりでは小倉のビッグバンドしかない、とのことでした。確かにハウスバンドの演奏はちゃんとしています。これで私は少し安心しました。北九州にまともなジャズはない、と思ってましたから。東京で、北九州のうわさは聞いたことがありません。小倉出身のクラリネットの谷口くんに聞いても「よく知らない」って言うし。でもこのビッグバンドのハウスバンドの演奏はしっかりしていました。これなら北九州でもジャズが出来るかもしれない、と思ったものです。ピアノの中島由紀子さんという方がいて、「学芸大学のジャズ研出身で、ベースの志村は先輩で部長だった」という話になりました。

 帰りもよしえさんに送ってもらいました。よしえさんは、知らない人はいない大酒のみ(^^)ですが、この日は「車で私の送り迎え」ということで禁酒デーでした。でもこの日のセッションのおかげで私は北九州に希望がもてたんですよ。どうもありがとうございました。


2003年8月13日(水)~18(月)
埼玉の検査入院と高田馬場のイントロセッション

これは日記のページにまとめてあります。
埼玉の検査入院と高田馬場のイントロセッション

※概要

 これまでかかっていた埼玉の病院へ検査入院をすることになりました。なぜかというと、身体障害者の申請で、診断書にいろいろな測定が必要なんですが、地元北九州の病院ではちょっと無理があり、発症時から全部わかっている埼玉の病院のほうが診断書が書きやすいからです。というよりも、埼玉の病院で書いてもらわないと、おそらく申請が無理でした。それぐらい身体障害者の申請は難しいし、ややこしいのです。

 ついでに、特定疾患の潰瘍性大腸炎の申請で、ただ1つ空白になっていた「大腸バリウム造影検査(注腸バリウムともいう)」もやってもらうことにしました。この検査、大腸に病気がない人はそれほどたいへんではないんですけど、潰瘍性大腸炎患者にとっては地獄の検査です。これまでは、この検査は特定疾患の申請に必要なかったんですが、次回の申請から必須になってしまったんです。この検査は地元北九州の病院でやってもらおうと思ってましたが、埼玉の病院まで行くのなら、ついでにやってもらうことにしました。

 この2つが目的で、13日~16日に埼玉の病院へ検査入院をしに行きました。もちろん入院は特定疾患が使えるので、入院費なんてタダ同然です。



2003年8月13日(水)
入院初日

 朝一番の新幹線で東京へ。病院へ着いて、この日は何もすることはありません。初日というのにすでに面会者が何人かいました。ありがたいです。

※面会者:
山口新語(ds) 池田篤(as) 野本晴美(p)



2003年8月14日(木)
入院2日目 検査食の1日

 検査食を食べただけです。この日も面会者がいました。

※面会者:
村山秀樹(b) 井口健一(ts) 日下部夫妻
山田穣(as) 佐瀬正(b) 高橋節(b)



2003年8月15日(金)
入院3日目 検査

  大腸バリウム検査の日です。大変辛かったです。詳細は日記に。

※面会者:
4Q(福原俊介, ds) 元会社の上司
中村真理子(vo) 佐野亜利亜(vo) 高樹レイ(vo) 内田修一(ds)



2003年8月16日(土)
退院~イントロセッション

 この日は、私を泊めてくれるという方がいましたので、その方の家へ行きました。さて、こんなつらい検査だけして北九州に戻るのは思いっきりバカです。何のために九州から埼玉まで行ったのか? ってことで、高田馬場のイントロへセッションをしに行きました。一応名目は「じみた東京最後のセッション」です。みんなに挨拶もせずに北九州へ帰ってしまったので、私からメールをし、出来るだけたくさんの人に来てもらいました。知っているだけでもこれだけ来ていただきました。ありがとうございました。

岡崎好朗(tp) 山田穣(as) 吉野ミユキ(as) 守谷美由貴(as) 塩本彰(g) 関根敏行(p) 久保田浩(p) 加藤国夫(p) 香川裕史(b) 佐藤"ハチ"恭彦(b) 佐瀬正(b) 磯部英貴(b) 高橋節(b) 小泉高之(ds) 正清泉(ds) 山口新語(ds) 4Q(福原俊介, ds) 高樹レイ(vo) つばっち(vo) 小林直子(vo) Ketty(vo)

理科大関係
村山秀樹(b) 岸(b) 楠直孝(p) まるこ(tp) 中津裕子(b) 石川(ts) 北澤誠(ds)

演奏していない人
小泉清人(g) 林正男(b) 諸田富男(ds) 鈴木リエ(vo)

その他大勢



2003年8月17日(日)
休日

 この日は何もしてません。知り合いの家にいただけです。



2003年8月18日(月)
帰郷

 昼頃の新幹線に乗って北九州へ戻りました。


2003年8月19日(火)
☆身体障害者と特定疾患を申請

 検査入院が終わってから、この2つの申請です。特定疾患のほうは特に問題ありませんでした。ただ、10月から法律が変わるので、通院費の最高額がいくらになるのかわかりません。これまでは特定疾患はすべて一律だったのですが、10月からランクが出来るのです。どのランクになるのかわかりません。

 問題は身体障害者です。初診日や障害認定日が違うとかで、診断書の日付を書き直すことに・・・。診断書書き直すたって、埼玉の病院ですよ。また「行け」っていうのかよ。んなことやってられません。病院へ電話し、日付だけ書き換えてもらい訂正印を押してもらうように要請。そして郵送。それが帰ってきて、ようやく申請です。ほんとにめんどくさいです。このめんどくささに途中で申請をやめる人もいるとか・・・。お役所ってのは身体障害者がどれだけ苦労してるか、なんてまったく知りませんね。もうちょっとなんとかしてほしいです。


2003年8月22日(金)~23日(土)
北九州 鉄人ジャズフェスティバル in 若松 安ヵ川大樹・大坂昌彦

これは日記のページにまとめてあります。
北九州 鉄人ジャズフェスティバル in 若松 安ヵ川大樹・大坂昌彦



※概要

 8月23日、北九州市若松の鉄人ジャズフェスティバルでベースのヤスくんが来るのはわかっていたんですが、彼がなぜか1日前に来ることになってました。それも朝からです。彼から連絡があり、理由が「台風シーズンだから勝手に来ることになってしまった。」とか。メチャクチャな理由ですね。ってことで彼はジャズフェス前日は丸々オフとなりました。ここは学生時代からのバンド仲間である私がお相手しましょう、っていうんで、この日は彼と飲み、彼とセッションすることにしました。



2003年8月22日(金)
ベースの安ヵ川くんと再会

 小倉のビッグバンドへ行き、飲んでセッションし、その後、カサブランカへ行き、飲んでセッションしました。小倉のカサブランカへは初めて行きました。オーナーのピアノの森山輝生さんと初めて会いました。他に、ヴォーカルの秋山仁希さん、ベースの向坊英雄さん、ドラムの川内のぶゆきさんに初めて会いました。



2003年8月23日(土)
コンサート鑑賞

 若松の鉄人ジャズフェスティバルにベースの安ヵ川くんとドラムの大坂さんが来るので、これを父親と見に行きました。場所は若松の市民会館です。当日の出演者は次のとおりです。

 大坂さんと中村健さんに久しぶりに会いました。健さんとは、東京の仕事で一緒だったんですが、その時は「長崎に帰る」と言ってたので、まさか福岡にいるとは思いませんでした。

 ジャズフェスが終わって、打ち上げに参加しました。料亭金鍋というところでした。その後、エルエバンスというライブハウスへ行き、私は、ヤスと大坂さんとでセッション。

久保田浩(p) 安ヵ川大樹(b) 大坂昌彦(ds)

なんと、客にアキコ・グレース(^^)

 これでこの日は解散しました。ヤス、大坂さん、アキコさん、ありがとうございました。


2003年9月1日(月)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<黒崎 ストロベリーサワー>
「Naomi グループ」
Naomi(vo) 宮吉英彰(p)

※初共演:Naomi(vo)

 向坊さんに、黒崎のストロベリーサワーというお店に連れていってもらいました。黒崎でもジャズをやっているお店があるんですね。ちなみに私の実家から一番近くて栄えてる町といえば黒崎です。その次は小倉ですかね。

 この日は、ストロベリーへ行く前に、向坊さんと中央町の居酒屋へ行きました。その後ストロベリーへ行って、また飲みました。私も何曲か飛び入りしたんですが、ちょっと酔っぱらい演奏(^^)

 向坊さんに連れて行ってもらった理由は1つ。「Naomiさんの歌を聴いてほしい」。う~ん、素晴らしいヴォーカリストですね。

 結局、酔っぱらいのまま店を出て、向坊さんの家に泊まりました。・・・いえ、意識がなくなるまで飲んだわけじゃありませんよ(^^)


2003年9月2日(火)
☆向坊邸でセッション
※初共演:増根隆司(b)

 向坊さんの家に泊まって、翌日です。昼すぎに、「ベースの増根さんという人を呼びましたから。」と。北九州在住でベ-スで活躍しているという方です。増根さんが来て、何曲かセッション。オーソドックスでなかなかいいベースですね。この日の夕方、増根さんに家まで送ってもらいました。


2003年9月5日(金)
☆ライブ鑑賞&参加
<天神 ニューコンボ>
「古地克成 DELTA」
古地克成(ds) 佐藤帆(ts) 関根彰良(g) 安東昇(b)
飛び入り:久保田浩(p)

※初共演:佐藤帆(ts) 安東昇(b)

 ドラムの古地くんとはずいぶん前からの知り合いなんですけど、彼が宮崎県都城市に帰ってしまったのは、ちょっと前に聞きました。私は東京で彼と一緒にやってました。まさか都城にいるとは思ってませんでした。その彼が、自分のDELTaというバンドで九州ツアーをやるらしいのです。そして天神のニューコンボに出演するという情報を聞きました。

 向坊さんと一緒に福岡へ行きました。ちょっと早く着いて店の前へ行くと・・・写楽の絵柄入りのサムエを着て下駄を履いた男がいます・・・あの関係方かな?・・・古地だぁ!久しぶりの挨拶。いきなり「参加してくださいよ。」・・・え?全曲?

 他の人も入ってきました。ギターの関根くんは、活動停止直前にテナーの野村潤ちゃんのバンドで何回か会ってます。佐藤帆くんは初めて。さとうはん、です。ベ^スの安東くんも初めてです。

 バンドはというと、素晴らしいですね。これは東京の音ですわ。この日は向坊さんが録音をしてて私ももらいました。


2003年9月6日(土)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<黒崎 ストロベリーサワー>
「Fever中島 グループ」
Fever中島(as) 上村貴子(p)
飛び入り:久保田浩(p) 余島研一(p)

 この少し前、ピアノの余島さんから電話がかかってきて、どこかで会おうと約束をしていました。余島さんは東京で活躍されている方ですが、実家は北九州市です。

 余島さんと会って挨拶し、私がつい最近行った黒崎のストロベリーサワーへ行くことになりました。余島さんはフィーバー中島君を知っていて、私に紹介したい、という意図もありました。

 フィーバー中島君の演奏を初めて聴きました。基本的にジャズではありませんが、ハートはとても感じられますね。フュージョン系の一発ものなどは最高です。ピアノの上村さんもがんばっていました。ジャズを勉強してるようで、熱心さが感じられました。
 帰りは、フィーバー中島君の車で家まで送ってもらいました。


2003年9月12日(金)
<下関 ホテル 場所?>
「パーティ」
「秋山仁希 グループ」
秋山仁希(vo) 久保田浩(p) 向坊英雄(b) 川内のぶゆき(ds)

 8月22日、ベースの安ヵ川君に会った時に小倉のカサブランカにいたヴォーカルの秋山仁希さんに誘われて、下関のホテルでパーティの仕事をしました。これが北九州へ帰っての第一弾の仕事でした。ドラムの川内さんは元々演歌界で有名なドラマーで、演歌のショーやのど自慢などの仕事をたくさんやっておられました。最近はジャズも演奏をしているようです。


2003年9月13日(土)
<小倉 チャチャタウン>
「Naomi グループ」
Naomi(vo) クレイトン(as) 久保田浩(p) 向坊英雄(b) 川内のぶゆき(ds)

 ヴォーカルのNaomiさんに誘われて、砂津にあるチャチャタウンで演奏を行いました。クレイトンというカナダ人のアルト奏者がいました。なかなかいいアルト奏者でした。ベース・ドラムは前日の仕事と同じメンバーでした。

 この後、クレイトン以外のメンバーで小倉の大門にあるライブハウスへ遊びに行きました。


2003年9月20日(土)
<若松 エルエバンス>
「ジャムセッション ホスト」
南山裕司(g) 久保田浩(p)

※初共演:定行洋(ds)

 ギターの南山さんに誘われて、若松のエルエバンスのジャムセッションのリーダーをやりました。ドラムの定行さんと初めて会い、終わった後、3人で近くに飲みに行きました。これ以降、定行さんから色々と誘われるようになりました。

2003年9月26日(金)
福岡クロッシングホールでの飛び入り演奏
トラベラーズ with akiko
トラベラーズ akiko(vo)
飛び入り:久保田浩(ep)
※akikoとの再会
小沼ようすけ(g) 金子雄太(org) 大槻カルタ(ds)

柴草玲+ひよこ隊
小沼ようすけ(g) 金子雄太(org) 大槻カルタ(ds)
トラベラーズ with akiko 飛び入り:久保田浩(ep)

 Verveから初めて日本人のアルバムを出したakikoちゃんですが、私はデビュー前の石井明子時代から一緒にライブをやっていました。すでにお友達です。

 その彼女から「福岡でコンサートがあるから見に来ない?」と言われたので見に行くことにしていました。コンサートの前日の夜、「ねえ、明日、1曲演奏してくれない?」と・・・。「昼頃来れればリハが出来る」とか「生ピアノがないのでエレピをなんとか手配する」とかになって、見に行くはずのコンサートが出演することになりました。まあ旧友のakikoちゃん、あっこちゃんの要望なら聞きますよ。

 当日、昼にクロッシングホールへ。あっこがリハをやっていました。久しぶりの挨拶。コンサートとは関係ない話ですけど、あっこちゃんは私の病気のことをとても心配してくれてるんですよ。ヴォーカルの知り合いではほんとに一番ぐらい心配してます。とても気をつかってくれて、いつも「体、大丈夫?」「疲れたらいつでも休んでいいよ」って声をかけてくれます。初めて会った頃から私のピアノは結構好きなようでした。これで彼女は突然Verveからアルバムを出して売れたので、私としてはとてもうれしいです。

 あっこちゃんはこの日はゲスト参加で、メインバンドはトラベラーズでした。ジャズのバンドではないので私は名前も知りませんでしたが、リハを見て、実に素晴らしいグループだと思いました。何日か後、CDも通販で買ってしまいました。とてもいいサウンドをしてますよ。
 私は昼にホールへ行ったのですが、北九州在住のヴォーカルのNaomiさんがあっこちゃんのCDを持っていて、かなり好きだということを聞いてたので、夕方、あっこちゃんが泊まっているホテルにNaomiさんに来てもらい、あっこちゃんにNaomiさんを紹介しました。少しでも東京と北九州でつながりが増えるといいですからね。

 イベントは3グループ出演して、2グループ目から聴きました。小沼ようすけグループも素晴らしかったです。東京でアルトの太田剣君が一緒にやっているというので、メンバーの名前は知っていましたが、演奏は初めて聴きました。とてもよかったです。

 トラベラーズの出演になって、私はNaomiさんと一緒に舞台袖へ移動。演奏は素晴らしかったです。何曲かトラベラーズだけで演奏した後、あっこちゃんの登場です。盛り上がりますねえ。で、その後、私が飛び入り参加。リハは1曲しかやりませんが、2曲やることになっていました。2曲無事に終わって私の出番は終わりです。さて、演奏はどうだったんでしょうか?(^^)

 コンサートが終わって当然、打ち上げです(^^)。あっこちゃんと飲むなんて、何年ぶりでしょうか。中国料理店のようなところで打ち上げをやって、終了です。あっこちゃんに挨拶をして、Naomiさんの車で家まで送っておもらいました。


2003年9月29日(月)
☆ライブ鑑賞
<福岡 ブルーノート>
「Saya グループ」
Saya(p) 塩田哲嗣(b) 藤井伸昭(ds)

※ベースの塩田くんと再会

 ベースの塩田君とは十年以上の付き合いになりますが、やはり私の活動停止でしばらく会っていませんでした。私が活動停止している時に、彼はニューヨークへ住み、ニューヨークで活動し始めました。活動停止中に距離が大きくなってしまいました。

 北九州へ帰って彼のHPを見ると、この日は福岡ブルーノートでライブをする予定になっていました。日本へ来て少しの間だけライブをやることになっていました。そのうちの1日だけ、福岡で演奏をするのです。これはぜひ見に行かなければ、と思い、見に行くことにしました。ベースの向坊さんが行きたい、とのことで、2人で見に行きました。

 塩田とは何年ぶりでしょうか。あれだけ数多くのライブや仕事をやってたのに、こんなに会わなくなってしまったのがとても残念です。ってことでライブが終わってアンコールが始まるまでの間、客がアンコールの拍手をしてるってのに、彼はステージから降りて、一番前の席に座っていた私のところへ「ハグ」をしに来た(^^)。客は何が起こったのか?って驚いただろううなあ(^^)。うれしいじゃないですか。やはり長年のダチはダチです。こういうことがあると、私もがんばろうと思いますね。昔からの友人って大切ですよ。ドラムの藤井君、会ったことはありますが、ドラムを聴くのは初めてでした。・とても素晴らしかったですね。

 塩田くんとは結局3回「ハグ」をして(^^) 1ステージだけ見て帰りました。向坊さんとラーメンを食ってから帰りました。いや、帰ってない。この後、黒崎のストロベリーに寄ったのだった(^^)。しっかりNaomiさんに報告しました。


2003年9月30日(火)
<田川 ブルーノート>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 伊藤正彦(b) 定行洋(ds)

 田川にブルーノートというライブハウスがあり、火曜日、イベントが何もない日があるので何かやろうと、定行さんに誘われて、ライブ&セッションのようなものをやりました。これ以降、第1、第3火曜日は田川ブルーノートでこのメンバーでライブ&セッションをやることになります。


2003年10月?
☆向坊邸でセッション
※初共演:井島正雄(b)

 北九州No,1のベーシスト、井島さんとセッションする機会がありました。場所はベースの向坊さんの自宅でした。井島さんがベースアンプを向坊さんの家に取りに行く、ということで、ちょうど私も空いてたので、顔を合わせるということで向坊さんの家に行きました、1曲だけセッションしました。


2003年10月7日(火)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<福岡赤坂 バックステージ>
「田中克紀 デュオ」
田中克紀(g) 秋吉秀信(b)

 定行さんに誘われて、福岡のバックステージへライブへ見に行きました。店は初めてです。2ステージ目は参加できる、ということでセッションになりました。


2003年10月8日(水)
☆ライブ鑑賞
<福岡 Rooms>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 続木力(as) 林正樹(p)

☆ライブ鑑賞
「鈴木良雄 グループ」
<福岡赤坂 バックステージ>
鈴木良雄(b) 井上信平(fl) 野力奏一(p) 岡部洋一(per)

 同じ日に、東京から2バンドも福岡へ来る、しかも、両方ともお世話になった人が別々にライブをやる、なんて、いけません(^^)。金がなくなるじゃないですか。しょうがないので、1ステージずつ見ましたよ(^^)

 片方は、たいへんお世話になったヴォーカルの六角さんです。ハーモニカの続木さんも1回一緒にライブをやったことがあります。ピアノの林君はまだ20代で私は初めて聴きましたが、素晴らしいピアニストですね。今後期待できる方です。ライブはベースもドラムもいないということで、しっとりした感じでしたが、内容は素晴らしかったです。六角さんだけ挨拶をして、福岡のバックステージへ向かいました。

 もう片方はベースのチンさんのグループでした。私はチンさんとは面識がありませんでしたが、フルートの信平さんとパーカッションの岡部さんとは何度も一緒にライブをやっていたので、見に行かないと殺されます。・・・んなことはない(^^)。ピアノの野力さんはずいぶん前にライブで見たことがありますが、その時はとても素晴らしかったです。このグループはチンさんがリーダーでチンさんのオリジナルが多かったですが、とても聴きやすい曲ばかりで、バンドとしてもとてもまとまっており、また技術的には申し分ない4人ですので、非常によかったです。とても楽しめるグループでした。ドラムの定行さんも見に来られました。

 さて打ち上げに参加するんですが(勝手に決めるな) どちらに参加しようか? チンさんのグループの後だったので、そのまま付いて行くことにしました。福岡の市場の中にある食堂でしたね。お店は信平さんの紹介。全国各地の「安くてうまい」どころを知っておられるようで、とてもよいところでした。

 この日は打ち上げに参加して帰れなくなるのがわかっていたので、定行さんと同じホテルを予約してもらっていました。一泊して、翌朝、高速バスで帰りました。


2003年10月10日(金)
☆誕生日
<小倉 カサブランカ>
Naomi(vo) 定行洋(ds)

 前日の9日、小倉へ行ってて、帰りはヴォーカルのNaomiさんに送ってもらったんですが、帰りの時間は深夜ですでに10日になっていました。そこで本日誕生日であることを告白(^^)。なーんと、車の中で祝ってもらいましたがな(^^)。盛大に1人で(^^)。・・・んで、そのまま帰った(T_T)。

 10日、小倉のカサブランカへ遊びに行きました。ドラムの定行さんと行きました。まあ誕生日は前日の深夜に1人とはいえ祝ってもらったし、カサブランカはまだ行き始めたばかりだし、誕生日は隠していました。

 セッションをしている時でした。なんとNaomiさんが登場。どっか小倉で仕事をしてたらしい。しかもハッピーハスデイを歌うと言ってるし。ピアノはあたしでっせ。ちょっと待て。ワタクシ、自分でピアノ弾いて自分で祝うの?(^^)

 やりましたよ。実にヘンな誕生日。祝ってもらう人がピアノでハッピーバースデイを弾いてるなんて初めてですよ(^^)。んなの、見たこともないし、聞いたこともないし、やったこともない。さすがNaomiさんです(^^)。お店の人も知らなかったらしい。突然Naomiさんがケーキを持って店に来たらしいのです。いや~、でもありがたいです。店中で祝ってもらえた。Naomiさん、あんがとね。


2003年10月
☆身体障害者認定・障害年金申請

 身体障害者手帳の交付通知書が届きました。それを役所に持っていき、身体障害者手帳をもらいました。これで私は身体障害者となりました。右大腿骨骨頭壊死です。

 そして障害年金が申請出来るかどうかを聞いてみました。身体障害者にとってこれが一番大きいです。私は一応適応になりそうでしたので、申請をすることにしました。が、この申請は身体障害者の申請以上にたいへんです。身体障害者だけならそれほどでもありませんが、障害年金となると国が金を出すわけですから、そう簡単にはいきません。

 申請用紙をドサッともらいました。この中で一番たいへんなのが「病歴」です。これを自分で書きます。また、付属資料として病院の証明も必要となります。私の場合、大腿骨骨頭壊死で障害年金をもらうんですが、元はといえば潰瘍性大腸炎の薬(ステロイド)の副作用で起きたもので、これに「因果関係あり」と判断され、潰瘍性大腸炎のほうから書かなければならなくなったのです。

 これは詳しく書きましょう。どれだけたいへんな申請かをわかってもらうために。

 障害年金は、初診日から1年6ヶ月後を障害認定日としその時の状態の診断書をとって、それで申請するのが基本です。・・・まず、これがおかしい。身体障害者なんて、いつなるかわからないんだし、障害者になってしまってから、やれ初診日だ、障害認定日だ、って言うほうがおかしいのです。しかし、これが確定されなければ申請が出来ないのです。申請は、自分の病歴申請と、病院の診断書と、初診日の証明の3つが必要です。初診の病院が障害認定日の時の病院と同じであればあまり問題はないのですが、これが異なっているとたいへんです。

 大腿骨骨頭壊死で障害年金をもらおうとしたのに、初診日は潰瘍性大腸炎の初診日にしろ、と、こういうことになったのです。その間の病歴も全部書け、病院の証明もとれ、と。わかりましたよ。じゃあ、初診日はいつか・・・1993年の夏ぐらいですがね(@_@)。10年も前ですよ。ってことはですよ、この証明をとらなければならない、ってこと? んな古い証明なんてとれるわけがないでしょうが。だいたい病院の名前すら忘れていたぐらいです。で、その証明がとれないなら、次に行った病院の証明をとれ、と言うのです。これは東大付属病院の分院です。ところがこの分院は、私が東大病院の分院にかかっていた最後、本院に統合され、分院自体がなくなってしまったのです。この後、私は東大付属病院には2、3回しか行っていません。そんな、現在存在しない病院の証明なんてとれるかぁ?・・・まったくメチャクチャですよ。でもこれらを揃えないと申請が出来ないんです。めんどくさすぎます。

 結局、初診日は、10年前に潰瘍性大腸炎でかかった病院で、電話したもののカルテは残ってなく、証明書がとれないので、初診日は証明なしの自己申請という形になりました。これだと申請に引っ掛かる場合がある、と言われました。んなこと言ったって無理なものは無理。2番目の東大付属病院には、かろうじて「病院にかかった」という証明だけが残されていました。しょうがないので、申請用紙を東大病院に送って返信してもらうことにしました。で、初診日からこの時点までの潰瘍性大腸炎と大腿骨骨頭壊死の病歴を全部書いて、やっと病歴の完成です。病歴以外にも申請用紙はいくつかあります。役所の各種申請はやりましたが、こんなにめんどくさいものはないです。


2003年10月14日(火)
☆ライブ鑑賞
<小倉 ビッグバンド>
「中村健吾・後藤浩二 デュオ」
中村健吾(b) 後藤浩二(p)

 小倉のビッグバンドへ、中村健吾&後藤浩二デュオを聴きにいきました。このデュオはすばらしいです。健吾さんは名前はだいぶ前から知ってましたが初めて演奏を聴きました。後藤さんは名古屋在住の方ですが東京でもライ活動しているようです。まだ30歳ぐらいともこと。素晴らしいピアニストですね。


2003年10月15日(水)
☆ライブ鑑賞
<八幡 ANDY>
「ドナルド・エドワーズ トリオ」
ドナルド・エドワーズ(ds) ロバート・グラスパー(p) ダリル・ホール(b)

 引野ANDYに、ドナルド・エドワーズ・トリオを見に行きました。実は、ドナルド・エドワーズをいう方は名前も知りませんでした。ギターの中村よしえさんに前々からこのライブ情報を聞いてたのですが、4ビートものはあまりやらないのではないか? ということで当初は行く予定ではありませんでした。両親と出かけてて、車で帰ってくる途中、よしえさんから電話があり、「今日のトリオはジャズですよ!」と。これは行ったほうがいい、と、家に帰らず急遽ANDYへ行くことにしました。

 ジャズでした。素晴らしいジャズライブでした。最近の若手の演奏ですが、とても素晴らしかったです。


2003年10月16日(木)
<福岡 シーホークホテル>
「パーティ」
Naomi(vo) 久保田浩(p)

 Naomiさんと博多のホテルでデュオの仕事をしました。エレピを運ばなければならない、ということで向坊さんも一緒に行きました。

 終わってから、3人で福岡のバックステージへ遊びに行きました。なんと、ドラムは中村健さんでした。ピアノが井上さんという医者の方でしたが、バップスタイルでとてもよかったです。ギターの方もベースの方もよかったです。


2003年10月18日(土)
<若松 エルエバンス>
「ジャムセッション ホスト」
南山裕司(g) 久保田浩(p)

※初共演:鎌倉規匠(ds)

 ギターの南山さんに誘われて、若松のエルエバンスのジャムセッションのリーダーをやりました。

 この日、鎌倉規匠(かまくらきしょう)という北九州市八幡在住のドラマーが遊びに来て、1曲ほど一緒に演奏したんですが、なかなか素晴らしいプレイをしてました。弱冠25歳。北九州も捨てたもんではありません。というか、彼ぐらい叩ける人は北九州ではまだ知りません。これ以降、私は鎌倉規匠くんと活動することになります。


2003年10月19日(日)
<八幡 ANDY>
「久保田浩 グループ」
Naomi(vo) 久保田浩(p) 小車洋行(b) 中村健(ds)
セッション:中村よしえ(g) 鎌倉規匠(ds) 定行洋(ds)

 この前日、引野ANDYのマスターから、「明日、ライブをやってくれないか?」と言われました。それも、「ソロで」と・・・。私、ソロピアノって好きじゃないんですよ。しかしライブは翌日。う~、メンバーに困った。急遽、北九州でやりたいと思っていた3人に連絡をすると、なんと3人とも空いてました。

 自分名義のリーダーライブってほとんどやったことがないんですが、北九州はミュージシャンも少ないため、ある程度は自分からやるしかないんですよね。これが初めての私のリーダーライブです。メンバー的には申し分ありません。

 また、ギターのよしえさん、ドラムの規匠君、定行さんがセッションメンバーで遊びに来ました。


2003年10月22日(水)
☆クロスFM見学

☆ライブ鑑賞
<中洲 リバーサイド>
「渡辺文男 トリオ」
渡辺文男(ds) 吉田桂一(p) 佐々木悌二(b)

 9月26日の福岡のクロッシングホールのイベントは、福岡のFM局「クロスFM」が企画したもので、そのディレクターやプロデューサーが来ていて、私がバンドへ飛び入り参加した後、私に「番組に出演してくれないか?」と相談がありました。でも私は話が苦手。ただ番組に出演出来るというのは非常にありがたいことなので断ることはありません。そこでヴォーカルのNaomiさんと一緒に出演する、ということにし、この日の朝、クロスFMに遊びに行き、生放送の様子を見させてもらいました。その後打ち合わせをし、私の出演の日は11月13日で決定しました。

 夕方、定行さんと私のいとこの3人で中洲のリバーサイドへ渡辺文男トリオを見に行きました。バックの2人は私がすでに知っているメンバーです。桂一さんも悌二さんも相変わらずいいですね。文男さんも調子よかったです。

 終わってから、私たち3人とも打ち上げに参加しました。みんな酒好きですねえ・・・他人のことは言えないけど(^^)。適当な時間で私たち3人は引き上げて北九州へ帰りました。


2003年10月30日(木)~11月1日(土)
デューク・エリントン楽団 in 福岡 小島勉・Naomi・小林恵子・定行洋

これは日記のページにまとめてあります。
デューク・エリントン楽団 in 福岡 小島勉・Naomi・小林恵子・定行洋


2003年11月10日(月)
☆ドラムのヤス岡山さんの家へ遊びに行く

 ドラマーのヤス岡山さんが私の家に近くに住んでいるというので、Naomiさんと一緒に行きました。いろいろ話したり、CDを聴いたりビデオを見たりしました。


2003年11月13日(木)
<ラジオ出演 クロスFM>
久保田浩(p) Naomi(vo)

 クロスFMの朝の生番組、TOGGYさんの「GOOD MORNING DMD」のゲストとして私とNaomiさんが出演しました。出演時間は約30分でした。自分が主役でラジオ出演というのは初めてでしたが、TOGGYさんと話をしてたら終わった、って感じでした。これならまた出演したいぞ(^^)

 番組中にドリンクのサービスがあるんですが、Naomiさんが突然「ミルク麦茶がいいです。」と言ったのにはみんな(・_・)でしたね。番組が始まる前に私とNaomiさんで話してた時、Naomiさんが「牛乳と麦茶を混ぜるとおいしい」とか言い出して、私はそんなものはいやだ、って言ってたんですが、それを番組中に注文するとは・・・さすがお嬢です(^^)


2003年11月19日(水)
☆障害年金受給決定

 10月に苦労して申請した甲斐があって、障害年金の受給が確定されました。2年間です。ちょっと額は少ないが。まあでも、もらえるだけありがたいです。


2003年11月21日(金)~23日(日)
大森明 from 東京!
九州ツアー

これは日記のページにまとめてあります。
大森明 九州ツアー


2003年11月24日(月)~12月7日(日)
東京ツアー 2003年
2003年11月24日(月)~12月7日(日)

これは日記のページにまとめてあります。
じみた 東京ツアー 2003年


2003年12月9日(火)
<ホテル>
「八幡ロータリークラブ」
南山裕司(g) 久保田浩(p) 増根隆司(b) 鎌倉規匠(ds)

 八幡ロータリークラブのパーティがあり、このメンバーで演奏しました。


2003年12月11日(木)
☆ライブ鑑賞&飛び入り
<中洲 トロンボーンクラブ>
「中嶌真平 デュオ」
中嶌真平(g) 小牧良平(b)

※初共演小牧良平(b)

 福岡中洲のトロンボーンクラブに定行さんと遊びに行きました。店も出演者も初めてです。セッション参加しました。


2003年12月13日(土)
<八幡 ANDY>
「久保田浩 グループ」
国貞雅子(vo) 久保田浩(p) 小車洋行(b) 鎌倉規匠(ds)

※初共演:国貞雅子(vo) 古田織衣(vln)

 引野ANDYのライブですが、ヴォーカルのNaomiさんが出来なかったため、小車さんと相談して、ヴォーカルの国貞雅子さんと一緒にやることにしました。国貞さんの歌はとてもいいですね。


2003年12月14日(日)
<小倉 マヤ>
「南山裕司 グループ」
南山裕司(g) 久保田浩(p) 小車洋行(b) 北原和夫(ds)

※初共演:北原和夫(ds)

 小倉の京町のマヤというお店で、上のメンバーで演奏を行いました。ドラムの北原さんとは10月15日にANDYで会いましたが、共演は初めてでした。

 行く途中、車の中で急に寒気が出てきて、着いた頃には頭がガンガンになっていて、途中で風邪薬を買って飲んで演奏しました。これほどひどい状態で演奏したことはありません。起きてすぐ状態が悪ければ薬でなんとかなるんですが、リハの直前に突然ひどい状態になってしまったのでどうしようもありません。この後、ずいぶん長い間大風邪状態でした。


2003年12月15日(月)
☆セッション参加
<小倉 ビッグバンド>
「ラストセッション」
野本秀一(p) 小車洋行(b) 出口成信(ds)

 小倉ビッグバンドがこの時いっぱいで閉店をし、その最後のジャムセッションがこの日にあり、遊びに行きました。深夜遅くまでやっていましたね。


2003年12月16日(火)
<田川 ブルーノート>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 伊藤正彦(b) 定行洋(ds) 鎌倉規匠(ds) Naomi(vo)

 田川ブルーノートでライブ&セッションをやりました。この頃から、第1、第3火曜日は久保田浩トリオで定期的にやることになりました。この日はヴォーカルのNaomiさんが遊びに来ました。


2003年12月17日(水)
☆特定疾患受給票が届く
※遅すぎ

 やっと特定疾患受給票が届きました。ちょっと遅すぎです。申請してから3ヶ月以上かかっています。しかもランクがあまりよくない。まあ親の扶養だからしょうがないですけどね。


2003年12月29日(月)
☆セッション参加
<小倉 ビッグバンド>
「マスターを励ます会」
久保田浩(p) 渕上貴大(b) 定行洋(ds)

 小倉のビッグバンドが年内で閉店するので、「マスターを励ます会」と称してセッション大会がありました。私は他の3つのバンドが演奏した後、よーわからんけどスペシャルグループだったようです。知り合いのベースが誰も空いてなかったので、この日いた渕上さんにベースをお願いしました。


2003年12月30日(火)
☆セッション参加
<田川 ブルーノート>
「筑豊ジャズ忘年会」
久保田浩(p) 伊藤正彦(b) 定行洋(ds) 北原和夫(ds) Naomi(vo) 鎌倉規匠(ds)

 田川ブルーノートで「筑豊ジャズ忘年会セッション」という企画があり、これに参加しました。ほとんど演奏者ばかりでかなりの人数でした。筑豊も捨てたもんじゃありませんよ。これから筑豊ジャズも盛り上げていかんとね。




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